「2012年は短髪、2017年はドレッドヘア。空白の数年間に一体何が?ドレッドランナー誕生秘話」

自己紹介

「2012年は短髪、2017年はドレッドヘア。空白の数年間に一体何が?ドレッドランナー誕生秘話」

「え、その髪で??」

マラソン大会ではそんな視線をバチバチと感じます。

今でこそ「ドレッドランナー」として定着(?)していますが、実は2012年まではどこにでもいる「短髪ランナー」でした。

東京マラソンを完走してから再びスタートラインに立った2017年までの空白の5年間。その間に一体、何が起きたのか。僕はなぜ、走るにはどう考えても「有利」とは言えないこの髪型で再び走り始めたのか。

今回は、僕のランニング人生を大きく変えた(かもしれない)空白の数年間についてお話しします。

短髪ランナー時代の僕とマラソンを中断した背景

マラソン大会に出場したのは30歳になった区切りの良い年に何か大きなことに挑戦してみたいと思ったのがきっかけです。

自分の中で何が大きな挑戦になるだろうと考えたときに次の3つが思い浮かびました。

  • 海外旅行
  • 富士登山
  • マラソン

30歳にちなんで3つとも全部やってしまえ!と、2009年7月にはバリ島へ行き、2010年8月には富士山へ登り、そして同年10月に人生で初めてのフルマラソンを走りました。

2012年東京マラソン完走までの歩み

僕が最初に選んだマラソン大会は『第2回しまだ大井川マラソンinリバティ』です。なぜこの大会を選んだのか今となっては不明。

結果はボロボロでした。

18km地点で左ひざを痛め、22km地点で右足首が逝くという。それでも惨めに足を動かし続けて執念だけで完走しました。

翌年、同大会でリベンジ。4時間48分03秒で走り抜いて雪辱を果たしました。さらに2012年には倍率の高い東京マラソンの抽選が当たり、友人と一緒に大都会のコースを駆け抜けることができたのです。

一度ランニングの表舞台から姿を消した理由

その後、僕がマラソン大会に出場することはありませんでした。なぜなら初めての海外旅行で外国に興味を持ち、世界一周旅行をしてみたいと思ったからです。

2013年は馬車馬のように働いて世界一周旅行の資金を貯めると、2014年にはアメリカへ飛び立っていました。

空白の数年間で出会ったドレッドヘアと世界一周の旅

旅人

まずは友人が暮らしているロサンゼルスへ降り立ち、東回りでの世界一周旅行がスタート。しばらくアメリカを観光した後に中南米へと渡り、ヨーロッパからアジアへというルートでした。

実はこのときにはすでに僕の中で髪型に関する構想が描かれていたのです。それが旅人の間で人気のボリビアパーマ、通称『ボリパー』です。

世界一周バックパッカーの鬼門ボリビアでの誤算

ボリビアは南米中央部に位置する国で、鏡張りのウユニ塩湖やチチカカ湖が有名です。ラパスは標高3600メートルで世界でもっとも高所にあたる首都になっています。

世界一周バックパッカーの鬼門とも言える高地で、滞在中のほとんどを高山病で過ごしました。頭痛、吐き気、めまい、倦怠感、食欲不振といった症状はずっと風邪だと思っていたけど後で高山病と知ったのです。

このような状態でパーマをかけるなんてことは出来ず、とにかく早く低地に行かなければという思いでパラグアイを目指しました。ボリパーは諦めざるを得ず、世界一周旅行中に髪型が変わることはありませんでした。

ドレッドヘアというスタイルを選んだ本当の理由

世界一周旅行中に伸びた乳首くらいまでの長さの髪の毛。今後の人生でこれ以上長く伸ばすことはないだろうと考えて、この長さを活かした髪型に変えることに決めました。

そこで頭に浮かんだのが趣味で続けていたDJ活動のことです。

DJをしているならアフロかドレッドではないか?音楽のジャンルはPsychedelic Trance(サイケデリックトランス)という少し特殊な世界。野外レイブだったりヒッピー文化も残る雰囲気に合わせるならドレッドか?

ボリュームのあるアフロヘアも個性的で捨てがたかったけど、ふとブラジルで出会った日本人がカッコいいドレッドヘアだったことを思い出し、最終的にドレッドヘアに決めました。

そう、この髪型にしたのは特にこだわりの理由などなく、ただ何となくドレッドヘアに落ち着いただけなのです。

2017年ドレッドランナーとしての再始動と変化

2015年に帰国した後、仕事や引っ越しなどでバタバタした環境も落ち着き、再び走り始めたのが2017年でした。

髪型は変わっても走る情熱は加速した理由

気が付けば38歳。アラフォーにもなると健康が気になるお年頃です。そういや世界一周旅行に行く前はジョギングなんてしてたっけなと思い出してジョギングを再開。再び走り始めることにしました。

マラソンランナー

ドレッドヘアはまとめれば走るのに支障はなかったため、特に気にすることもなくマラソンの練習に励んでいました。この頃からですかね、走っていると二度見されたりするようになったのは(笑)

これが私のドレッドランナー誕生秘話の全貌

帰国後に選んだ大会は『第2回水戸黄門漫遊マラソン』でこれまた選んだ理由は不明。しかも、またしても結果はボロボロだったのです。

翌年には彩湖ハートフルマラソンでリベンジ。そしてちばアクアラインマラソン、続いて国宝松江城マラソンに出場するなど、フルマラソンにのめり込んでいきました。

ドレッドヘアにしたのは特別な決意があったわけでも、劇的な事件があったわけでもありません。ただ、自分の好きなスタイルと走ることへの情熱が、空白の期間を経て自然に重なっただけ。

これが、短髪ランナーが空白の数年を経て「ドレッドランナー」として生まれ変わった舞台裏のすべてです。

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